その後

見ている第三者としては変なやり取りだと思うかもしれないけど,再放送しているケーブルのローゼンメイデンを見ていると,またいろいろ考えたりするのだ。こういうトピックで語るのはとても好きだ。
id:shikifune:20060207:p1

記憶が確かなら、劇中で「(ローゼンメイデンは)アリスゲームのために作られたもの」といった言及のされ方はしていないように思います。

この点は,そうでした。「アリスゲームのために作られたもの」とは言及されていません。アリスを目指しなさいとは言われているけど,そこより突っ込んだ言及はないように思います。つまり,目指すとどうなるのか,目指さないとどうなるのかはよく分からない。
2期を観るにあたっては、そのうえで、「しかし彼女たちには意志がある」という点に着目しました。ってところは,再放送を見たりしながらそういう視点で見ると,真紅のセリフなどはその辺の葛藤を表していると思います。
「アリスを目指す」っていうのがサラブレッドが走るほどの強制力を持っているのか,その辺で解釈が分かれるところです。走れないサラブレッドはバラされる定めであり,「走らない」という選択肢はなく,「走る」以外の個性は認められていない(「走る」という前提の上での性格の違いは認められているけど),これが人間ならちょっとやだなって環境の中に生まれるわけだ。
ローゼンメイデンがアリスを目指すように言われて育てられていることの悲しさが前面に出たのが第10話だったと思う(間違ってるかもしれません)。ローゼンを前にして,アリスを目指すことを改めて言われると,結局のところ,真紅でさえも一度の反論もせずにそれに従ってしまった。なんていうか,俺はミュージシャンになると言っている息子が,「家業を継ぎなさい」と父親に言われて,何も言わずに従う感じです。もちろん,ジュンはことあるごとにそれに反論する。けど,その言葉の重さは,ローゼンよりは軽かった(この場合,ローゼンが偽者であったことはどうでもよく,真紅がそれに従ったことが重要なんである)。ジュンの言葉が,サラブレッドに,「走るのが好きじゃないなら走らなくてもいいじゃないか」と言うが如きものであるなら,それは軽いままだろう。
この物語の背景が,そんな悲惨で選択肢のないものであるとは思えないので(SF小説じゃないんだから),だとすると,作り手の意思とは相容れないローゼンメイデン本人の意思ってのが重要になる,というところで,id:shikifuneさんの視点になるんじゃないかと思うわけである。
「家業は継がない。俺はロックをやる」と反抗期の子供のように言い出して,それを押し通すのか,「親に愛されたい」という執着を捨てきれないままなのか。なんだか深夜アニメで風呂敷を再び思い切り広げてしまったが,そういう人間ドラマの縮図になってもいいんじゃないかと思う。最初に書いたような,SF小説ばりに,目的を決定された人生を強要されるストーリーというのも(「あずみ」とかそんな感じ?),それはそれでありだけどさ。

追記(2006年2月15日)

忘れていたわけじゃないけど,PEACH-PITの漫画は,あえて言うならDearSもそういう,「強制された目的と自由意志の葛藤」の物語だよな。そういうのが好きなのかもしれない。
自由意志の葛藤の物語っていうと,つい,マイケル・マーシャル・スミスの「スペアーズ」を思い出します。あと,ジャネット・フィッチの「扉」とか,キングの「死のロングウォーク」の,反乱を起こしても誰も状況を理解できなかったシーンとか。

スペアーズ (ヴィレッジブックス)

スペアーズ (ヴィレッジブックス)