隣の家の少女 GIRL NEXT DOOR

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

五年以上前に挑んで三分の一も進まずに討ち死にしたことがある。先の展開を匂わせる不吉な雰囲気だけで耐えられなくなり本棚に戻したのだ。
読書とは別に無理して読むものではないのだけど、それでもときに登山のように無理して読んでやろうという変な気分になるときが人間にはあるもので、何を思ったかもう一度手に取って読み始めた。栞のところを読んでもうまく思い出せなかったので最初からである。
まったく同じで三分の一くらいでピークがやってきた。この先の不幸な展開がぴりぴり感じるだけでもう駄目。勘弁してください。誰に対してなのかも分からない詫びを入れてしまうくらいである。この「隣の家の少女」がすごいのは、そのピークが三分の二くらいのところでもう一度来たことである。内容のきつい本でも一度乗り越えれば今までは大丈夫だったのだけど、この本はやはり一味違った。
トータルで二度小休止をおいた。続きを読むか迷った。
Amazonの書評に「読む前の自分には戻れない」という一節があった。読み終えるとそのような感じで、まさに読む前の自分には戻れないと自覚できる。この感想を書いているのは2008年11月16日だが、それでも一部の悲鳴は頭にこびりついていて、ふとしたときに思い出しては鬱になる。これはまったくとんでもない本だ。
と、自分の印象を書いた後でレビューを書こう。まず、これまでのケッチャムの訳者から金子浩という訳者に変わっている。この訳者が実にうまい。今までの本(ロードキル、オンリーチャイルド)も悪いわけではなかったが、この人の訳文を読んで「あー、ケッチャムってこういう文体なのね」と理解した次第である。これまでも淡々とした描写だったのだけど、本書は本当に無機質な描写が徹底している。
隣の家に引き取られた姉妹が、その家族に虐待され、そしてそれが段々エスカレートしていく様が実によく伝わってくる。また、どこから決定的だったのか分からないところが素晴らしい。主人公や読者も振り返るけど、何が決定的だったのか、本当によく分からない。すごく連続的に虐待は進み、それはいつのまにか(いつのまにか、だ)異常事態からさらなる異常事態へと進んでいく。
いまでも思い出そうとすると少女の悲鳴を想像することができる。後悔しているわけではないが、本当に真面目な意味で、一読の価値があると認めて推薦していいものか、自信が持てないのである。